昭和41年10月26日 朝の御理解



 先日ポットのお供えを頂いた。ところがなんとはなしにガチャガチャで使いものにならん。夕べ夜の御祈念が済んでから婦人部会に、昨日文男さんがお話にまいっておりました。高橋さんと二人でそれをあの分解してきれいにネジがゆるんでおる所を、締めあげて致しましたら又それが結構使われる。お互いネジが弛んでおったんでは使いものになりません。どうぞ御用に使うて下さい。どうぞ今日も忙しゅう、商売なら商売の御用に使うて下さいと云うても、ネジがゆるんでおっては、やはり使いものになりません。お互いネジが緩んでおる、その事を気付かしてもらわなきゃいけんと思うですね。
 昨夜の夕刊に、福岡の教会の吉木先生が、お国替えになったことが出ておりました。二十四日に亡くなって居られます。今日が密葬になられるそうです。非常に、少年時代から苦労なさった方です。大体、甘木の方です。鍛冶屋さんの息子さんに生まれなさった。そして、まあ不思議な縁ですね、福岡の教会の御養子になられた。吉木の家の、三代目を継がれたわけです。
 そしていよいよ二代よりも三代目というように、皆さんご承知のようにああして御比例のたつ教会になさり、御普請もあんなに立派にお出来になられて、そしてまぁなすことなされて、お国替えをなさいました。私共、福岡におります時分は、毎日毎朝、あちらの御祈念にお引き寄せを頂いたんですけれども。本当に、やはり先生の御理解を頂くのが楽しみで、お参りさしてもらいました。
 私は、今朝からその、人間が、この、ネジが緩んでおるということです。御用にゃ使うて頂きたい、いわゆるおかげは頂きたいとこう願うのですけれども。とにかく、あの楽をしたい楽をしたいと。少しでも楽をしたいと、そして、おかげだけは一人前に頂きたいと。それが、利口な考え方のような思い方をしておる。私は、やはり人並みでは、人並みのおかげだとこう思うのです。
 人が人偏なら、私は、行人偏といったような御理解頂いたことがありますけれども。少しは違わなければいけん。そこに私は工夫が要る。例えば、ネジの緩んでおるのを締めるということなんかでも、ほんのちょっとしたことなんです。お道の信心は、もう実意丁寧がお道の信心の生命のように云われておる。その実意丁寧ということがです、ネジが締まってらなければ実意丁寧が出来ん。
 例えば、ほんなら、ちょっと障子が破れておっても、破れておることを気が付いておっても、いわゆる、よかよかというような気持ちになるです。その小さい事がです、おろそかにされておかげ頂ける筈はありません。そこから、おかげは漏ってしまうです。私共の心がしゃんと、締め上げられておる時にはですね、もう小さいものも見逃しません。ために私共は、どうとかひとつ、そこの工夫がなされなきゃいけん。
 吉木先生がいつも仰っておられましたように、人並みでは、矢張り人並みのおかげなんだ。それで私は若い時から少しは違った、少しはましな信心さしてもらわなきゃならんと、こう思うておる。人並みに煙草どものみよったんじゃ、おかげは頂かれんぞと思うて、私は、一生、煙草は頂かんこと、吸わんことにしておると決めておられます。人並みに晩酌でもしよるようなことじゃ、人は助からんと思うて、私は、自分から晩酌をするようなことは無い、しない、なさろうと思やどういうことでもなさった。
 ああいう大きな教会の先生が、やはりそれを貫いておられる。矢張りこれは先生の工夫なのです。人並みに煙草は吸わん食べるもん位食べにゃこういう考え方では、私はおかげは頂かれん。いやそれではです自分のネジが緩んでおることにですら、気が付かんだろうと私は思いますですね。どうぞおかげを頂きましてですね、私共の本当にあの御用に使うて頂きたい、御用に使うて頂きたいという願いを持っておるけれども、ネジが緩んでおっては使おうと思うても使われません、ガチャガチャしとりますから。
 自分の気分の合うたことだけには、やっぱ立ち上がろうとするけれども、気分の合わんことには立ち上がりたくもない、気分が緩んでおる時です。ああここは障子が破れとると、気が付いとっても、ちょっと紙を切ったり、のりを作ったりすることがおっくうになります、ネジが緩んでおる証拠です。それでは先ず、おかげは受けられないと悟らにゃいけん。いわゆる、それでは実意丁寧になろうとしてもなれないて。術ない、信心が楽しいものになってこない、それをなさして頂く時にです。
 何かしらんけれど、この何ですかね、すべてのことに実意をもってというような心の時に、心の中に充実したものが、心の中にいっぱい頂けます。充実した、私は日々を過ごさして頂くために、いよいよ、実意丁寧にならなければいけない。そのためにはいつも私共がです、心のネジが締め上げられとかなければならない。ためには、銘々です、様々な工夫が必要です。一生かけて人並みでは、やっぱ人並みのおかげなのだ。人並みに煙草ぐらいは誰でも飲んでる、誰でも吸ってる、だからこん位のことはというようなことでは、矢張りおかげにゃならん。
 もう人並みのことでもしよったっちゃ人並みの事、そこんところをです、私は心がけていかなければいけない。信心は、どんな小さい欠点でも気付かして頂いたら、そのことに本気で改まらして頂き、本気でそれに取り組ませて頂くということから始められなければならない。大きなおかげを願うなら、先ず小さい心の隙間というものに気付かなければならん。大きなことには取り組んでも、小さいことをいい加減にするようなことではおかげは受けられないと思うですね。
   どうぞ。